コロナウィルスが猛威をふるう現在、アルベール・カミュの小説「ペスト」がベストセラーになっています。
カミュは43歳でノーベル文学賞を受賞した、20世紀を代表する文学者です。
本作は、アルジェリアのオランという都市にペストが流行し、
都市が封鎖されたという想定のもと、三十代半ばのひとりの医師を物語の中心として、
大きな災いに人間はどう立ち向かえるのか、その可能性を書いた代表作です。
この作品が今、恐るべき予言の書として、まさに今私たちの現在に重なり合っているのです。

この作品の中から、一部を抜粋してご紹介します。
現在の話をされているように感じられないでしょうか?

「天災というものは、事実、ざらにあることであるが、しかし、そいつがこっちの頭上にふりかかってきたときは、容易に天災とは信じられない。
この世には、戦争と同じくらいの数のペストがあった。
しかも、ペストや戦争がやって来たとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった。
戦争が勃発すると、人々は言うーー「こいつは長くは続かないだろう。あまりにもばかげたことだから」そしていかにも、戦争というものはたしかにあまりにもばかげたことであるが。
しかしそのことは、そいつが長続きする妨げにはならない。
愚行はつねにしつこく続けられるものであり、人々もしょっちゅう自分のことばかり考えてさえいなければ、そのことに気づくはずである。
わが市民諸君は、この点、世間一般と同様であり、みんな自分のことばかりを考えていたわけで、別のいいかたをすれば、彼らはヒューマニスト(人間中心主義者)であった。
つまり、天災などというものを信じなかったのである。天災というものは人間の尺度と一致しない。
したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。
ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうが過ぎ去っていくことになり、それもヒューマニストたちがまず第一にということになるのは、彼らは自分で用心というものをしなかったからである。
彼らは取引を行うことを続け、旅行の準備をしたり、意見をいだいたりしていた。
ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなどどうして考えられたであろうか。
かれらはみずから自由であると信じていたし、しかし、天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえないのである。」

 「彼は、この病について知っているだけのことを、頭の中でまとめてみようとした。
さまざまの数字が彼の記憶のなかに漂い、そして歴史に残された約三十回の大きなペストは、一億近い死亡者を出していると、彼は胸につぶやいた。
しかし、一億の死亡者とはいったいなんだろう。
戦争に行ってきた場合でも、一人の死者とはなんであるかをすでに知っているかどうかあやしいくらいである。
それに、死んだ人間というものは、その死んだところを見ないかぎり一向重みのないものであるとなれば、広く史上にばらまかれた一億の死体など、想像のなかでは一抹の煙に過ぎない。」

 「しかし毎日の往診というものが、彼には堪えがたいものになってきていた。
それというのが病人の家族たちは、全快もしくは死亡しないかぎりその病人に二度と会えないことを知っていたからである。」

 「夜の十二時に、ときどき、もうすっかり人気の絶えた町の深い静寂のなかで、短すぎる眠りにつこうとして床にはいるとき、医師は受信機のスイッチをまわしてみることがあった。
すると、世界の果てから、幾千キロをよぎって、未知の友愛の幾つかの声が、彼らも連帯者であることをいおうと不器用に努力し、そして事実それをいうのであるが、しかし同時に、自分の目で見ることのできぬ苦痛はどんな人間でも本当に分かち合うことはできないという、恐るべき無力さを証明するのであった。」
                      田澤

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